彼らはアッラーが合法としたものを禁じ、それであなた方もそれを禁じているのではないか?また、彼らはアッラーが禁じたものを合法とし、それであなた方もそれを合法としているのではないか?

彼らはアッラーが合法としたものを禁じ、それであなた方もそれを禁じているのではないか?また、彼らはアッラーが禁じたものを合法とし、それであなた方もそれを合法としているのではないか?

アディー・ブン・ハーティム(彼にアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が『彼ら(啓典の民)はアッラーを差しおいて、彼らの学者や修道僧たちを、彼らの主としたのだ。また、マルヤムの子マスィーフも(主とした) 。彼らは、唯一の神(アッラー)のみを崇拝することしか、命じられてはいなかったというのに。かれ以外に、(真に)崇拝すべきものなど存在しない。彼らがシルクを犯しているものから(無縁な)、アッラーに称えあれ。』(悔悟章31)というクルアーンの一節を読むのを聞いた。彼(アディー)は言った:「私は彼に言った:『私たちは彼らを崇拝しているわけではありません。』預言者は言った:『彼らはアッラーが合法としたものを禁じ、それであなた方もそれを禁じているのではないか?また、彼らはアッラーが禁じたものを合法とし、それであなた方もそれを合法としているのではないか?』私は言った:『はい、そうです。』預言者は言った:『それこそが、彼らを崇拝することなのだ。』」

[真正] [アッ=ティルミズィーの伝承]

الشرح

この偉大な教友は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がクルアーンのこの一節を読誦した時、その意味に疑問を持った。読誦されたクルアーンは、ユダヤ教徒とキリスト教徒たちが、彼らの学者たちや崇拝行為に専念する者たちを彼らの神とした、というものだった。それらの者たちは、アッラーが定めたものではない教えを彼らに定め、彼らはそれに従っていたのだ。教友アディーは崇拝行為が、サジダ(平伏す形の祈り)のような行為に限定されるものと考えていた。そこで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼に、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が決めたことに反して、学者や修道僧たちがハラール(合法)なものをハラーム(禁止)とすること、ハラーム(禁止)なものをハラール(合法)とすることに従うのは、彼らへの崇拝行為に相当するのだ、ということを説明した。

فوائد الحديث

アッラーの法規定の改ざんにおいて、学者、またはそれ以外の被造物に従うことは大シルクである。ただし従っている者が、それがアッラーの法規定に反していることを知っている限りにおいて、である。

何かをハラール(合法)としたりハラーム(禁止)としたりするのは、至高のアッラーのみに属する権利である。

シルクの一種、つまり「服従によるシルク」についての説明。

無知な者には教えるということ。

崇拝行為(イバーダ)とは:アッラーが愛し、お喜びになる、あらゆる外面的・内面的言動を包括する、広範な意味を持つものである。

ハディースで取り上げられているような学者や修道僧らの迷妄についての説明。

ユダヤ教徒とキリスト教徒のシルクの確証。

使徒たちの宗教の起源は一つであり、それがタウヒード(唯一神信仰)であるということ。

創造主への反抗を伴う被造物への服従は、崇拝行為であること。

規定が不明瞭であることについて、知識ある者に尋ねることの義務性。

知識に対するサハーバの熱心さ。

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シルク