わが僕たちよ、われは自らに不正を禁じ、またあなた方の間においてもそれを禁じた。ゆえに互いに不正を為してはならない。わが僕たちよ、われが導いた者を除けば、あなた方はみな迷っている。ゆえにわれに導きを求めよ。…

わが僕たちよ、われは自らに不正を禁じ、またあなた方の間においてもそれを禁じた。ゆえに互いに不正を為してはならない。わが僕たちよ、われが導いた者を除けば、あなた方はみな迷っている。ゆえにわれに導きを求めよ。

アブーザッル・アル=ギファーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はその主(アッラー)から伝えるものとして、こう言った:「わが僕たちよ、われは自らに不正を禁じ、またあなた方の間においてもそれを禁じた。ゆえに互いに不正を為してはならない。わが僕たちよ、われが導いた者を除けば、あなた方はみな迷っている。ゆえにわれに導きを求めよ。そうすれば、われはあなた方を導こう。わが僕たちよ、われが食べ物を与えた者を除けば、あなた方はみな飢えている。ゆえにわれに食べ物を求めよ。そうすれば、われはあなた方に食べ物を与えよう。わが僕たちよ、われが衣服を与えた者を除けば、あなた方はみな裸である。ゆえにわれに衣服を求めよ。そうすれば、われはあなた方に衣服を与えよう。わが僕たちよ、昼も夜も、あなた方は過ちを犯す。だがわれは全ての過ちを赦す。ゆえにわれに赦しを求めよ。そうすれば、われはあなた方を赦そう。わが僕たちよ、あなた方はわれを害そうとしても、われを害することは出来ない。またわれを益そうとしても、われを益することも出来ない。わが僕たちよ、もしあなた方の最初の者、最後の者、人間の者、ジンの者が、あなた方の内で最も敬虔な者の心であったとしても、それがわが王国に何ひとつ付け加えるものはない。わが僕たちよ、もしあなた方の最初の者、最後の者、人間の者、ジンの者が、あなた方の内で最も不埒な者の心であったとしても、それがわが王国から何ひとつ減らすことはない。わが僕たちよ、もしあなた方の最初の者、最後の者、人間の者、ジンの者が一つの場所に立ち、われに乞い、それでわれが一人一人の望みをすべて叶えたとしても、海に入れられた針によって(水が)減る程度以外には、われのもとから減るものはない。わが僕たちよ、まことに、あなた方の行為のみなのであり、われはそれを数え上げ、それに応じてあなた方に余すことなく報いる。ゆえによいものを見出した者には、アッラーを称賛させよ。そしてそうではないものを見出した者には、ただ自分自身を咎めさせるのだ。」

[真正] [ムスリムの伝承]

الشرح

この聖なるハディースには、宗教の基礎部分、派生的部分、礼儀作法における、多くの偉大な利益が詰まっている。 アッラーはそのご厚意と、僕たちに対する善意によって、ご自身に不正を禁じられ、また被造物どうしが不正を行い合うことも禁じられた。ゆえに互いに不正を働き合ってはならない。 また、アッラーの導きと成功によるのでなくしては皆、真理の道から迷い去っている。アッラーに乞う者は成功を授かり、導かれる。 被造物は皆、アッラーを欠乏しており、かれを必要としている。アッラーに乞う者は、その必要を満たされ、十分な状態にされる。 人々は昼夜に罪を犯すが、アッラーは僕が罪の赦しを乞えば、それを匿い、大目に見られる。 人々はその言動によってどれだけ努力しても、何らかの害や益をアッラーに与えることは出来ない。 また、もし彼らが最も敬虔な者の心、あるいは最も不埒な者の心の状態にあったとしても、彼らの敬虔さがアッラーの王国に何か増やすこともなければ、彼らの不埒さがかれの王国から少しも減らすこともない。なぜなら彼らはいつどこにあっても、どのような状態にあっても弱い存在、アッラーを欠乏し必要とする存在だからだ。 もし彼らが一つの場所に立ってアッラーに乞い、その全員が自分が望んだものを授かったとしても、そのことがアッラーの御許から少しも減らすことはない。崇高なるアッラーは昼も夜も気前よくお与えになるお方だが、その宝庫は常に満たされており、そこから何かが支出されても減ることはないからだ。 アッラーは全ての僕の行いを記録され、よいものも悪いものも、それを数え上げる。そして復活の日が来れば、それによって彼らに余すことのない報いを与える。ゆえに行いの報いとしてよいものを見出した者は、服従行為へと導かれたことに対して、アッラーを賛美すべきである。一方、行いの報いとしてそれ以外のものを見出した者は、悪へと傾き、損失へと導いた自分自身を咎めるべきである。

فوائد الحديث

スンナ(ここではハディースの意)には、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がその主アッラーから伝えるもの、つまりアッラーの言葉によるものがある。それが聖なるハディース(ハディース・クドゥスィー)、または神的ハディースと呼ばれるものである。

至高のアッラーのお言葉(アラビア語の「カウル」)の確証。それはクルアーンの中にも多く認められることであり、アッラーのお言葉は音を伴うというスンナ派の見解の証拠でもある。言葉(カウル)は、聞かれるものにしか用いられないためだ。

アッラーは不正もお出来だが、その完全なる公正さゆえ、それをご自身に禁じられた。

不正の禁止。

アッラーの教えは、公正さのもとに成り立っている。

アッラーの属性には、「不正をしないこと」のように、何らかの否定を示すものもある。しかしアッラーの属性で何かを否定する種類のものは、必ずその反対のものの確証を示している。たとえば不正の禁止は、いかなる欠損もない完全なる公正さを確証している。

アッラーはご自身に、望むものを禁じる。全ての裁決はアッラーにこそ属するからである。同様にアッラーは、ご自身に望むものを義務づけもする。

「自らに不正を禁じ・・・」という言葉の中の「自ら」は、アッラーご自身のことを示している。

降りかかるあらゆる物事において、人間は主アッラーへと向かわなければならない。全ての被造物はアッラーを必要とするからである。

アッラーの公正さ、王権、自足性、僕たちへの善における完全さ。僕たちは自分たちが必要とする物事にあたっては、アッラーに向かわなければならない。

「ゆえにわれに導きを求めよ。そうすれば、われはあなた方を導こう。」とアッラーが仰っている通り、導きはアッラーからのみ求められる。

ムカッラフ(宗教義務の責任を問われる者)の元来の姿は、迷いの状態である。それは真理に対する無知であり、それに則って行うことの放棄である。

僕たちが得ることの出来る知識や導きは、ひとえにアッラーからのお導きとご教示によるものである。

全ての善は、至高のアッラーからの僕たちに対するご厚意である。そして実際のところ、彼らはそれに値するわけではない。一方、全ての悪はアーダムの子(人類)に端を発するものであり、私欲の追求によるものである。

僕が自らの行動を創造するのではない。僕もその行動も、いずれもアッラーの被造物なのである。

どれだけ罪が増えても、アッラーはそれをお赦しになる。ただ、罪の赦しを乞う必要があるだけである。ゆえにアッラーは仰ったのだ:「われに赦しを求めよ。そうすれば、われはあなた方を赦そう。」

善の成就はアッラーから頂いた成功であり、その報いもまたアッラーからのご厚意である。ゆえに、かれにこそ称賛はある。

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神学, 美名と属性におけるタウヒード